約1年ぶりに九代目の憂鬱更新します。右のカテゴリーの九代目の憂鬱をクリックして頂くと、第一回から読めますのでよろしくお願いします。
高校1年生の時に、モリカワは人員が足りるようになったので、私の家業手伝いは、一先ずクビになりました。
しかし、それ以降も、父からの急な呼び出しは相変わらずありました。人が足りなくなると、魔の一言…
「すまんけど、手伝いに来てくれんか」
今までも書いたように、前もって手伝いの日を言っててくれたらいやではないのです。
予定があるのに無理やりに連行されるのが我慢の限界に達してました。
未だにトラウマになって、父からの電話は、何を言われるんやろ!?といった恐怖があります。
恐らく当時、自分自身そういうこともふまえて、絶対に家業を継ぎたくないと思っていたのではないかと思います。
高校を卒業すると、私は大阪に出ました。いわゆるフリーターです。
頑張って4ヶ月連続休み無しで働いたと思えば、お金の続く限り休んで好きなことしたり、自由気ままでした。
次回につづく