株式会社モリカワの最大仕入れ先は、一部上場企業シナネン株式会社という会社です。

シナネンの当社営業担当は、このブログにも何度か登場したタロー営業です。そのタロー営業が東京の本社に転勤になり、当社担当を外れることになりました。

タロー営業との出会いは、ちょうど7年前になります。僕はまだ23歳、タロー営業は26歳でした。

二人ともまだ20代で若々しくお互いに初々しさがありました。

タロー営業の最初の印象は、関東の言葉が入った、絵に書いたようなサラリーマン。

実際は恰好だけで中身は学生だった(本人談)のようですが、僕の人生でおよそかかわり合うことがないと思っていた人種でした。

それに僕はまだ正社員で働いたことがなく、サラリーマンとは別世界の人間のように思えていました。

23歳当時の僕は何の夢もなく、大阪で色々な仕事を転々と繰り返し遊んでいました。

今思うと貴重な経験ですが、当時は”何をやっているんだろう”とはてな?マークが常にありました。

そんな時に母親から提案があったのです。「今ならシナネンさんで働かせてもらえるよ。働かせてもらえば?」やりたいことも他に思い浮かばないし、シナネンの名古屋で、正社員にさせてもらったのです。

ホント軽い気持ちでした。そんな頃出会ったのがタロー営業です。僕はシナネンの名古屋、タロー営業はシナネンの大阪と勤務場所は別でした。

しかし実家の営業担当ということも手伝って、接する機会も多々あり、知らぬ間に一番の飲み友達になっていたのです。

名古屋ではよく飲みました。夜の6時から朝6時まで飲んだこともあります。この7年間東京・大阪・名古屋、その他諸々各地、二人で飲みまくりました(笑)

飲む時の話の内容は、ほぼ仕事の話。このブログには書き切れないほど、語り合いました。

僕がシナネンの社員だった頃は、タロー営業は先輩に当たります。仕事、とりわけ僕の将来の相談をさせてもらった記憶があります。

このまま家業を継いでイイのか、自営業よりサラリーマンの方がイイのではないか等々、それこそ朝まで・・・

彼の株式会社モリカワに対する夢も聞きました。まったく家業に対して、興味がなかった僕に諭すように語ってきました。

お得意先の息子に語るのではなく、一後輩として語る屈託ない意見です。

もちろん息子として譲れない反論もあり、熱く語り合いました。でもそうやって語り合っているうちに、僕も家業に興味が出てきたのかも知れません。

彼が僕に家業を継がせたと言っても、過言ではないでしょう。

八代目に家業を継いでくれ、帰って来てくれと言われた時にも相談しました。

僕の立場にたって、真剣に考えてくれました。内容は忘れましたが(笑)

その時にもらったメールで後押しされ、最後の決断したのを覚えています。

 

 

 

実家に帰るか!

 

 

 

僕には大袈裟ではなく、人生がかかった一生に一回あるかないかという決断。

後ろ髪引かれることなく、晴れて家業を継ぐに至りました。

帰って来てからの僕には、彼はベストパートナーでした。後輩として4年半聞いてきた、彼の夢と僕の夢を融合させて、株式会社モリカワの改革に取り組みました。

少しずつ少しずつ、一つ一つ、丁寧且つ大胆に・・・

家業の営業担当として、彼と接したのは2年半ですが、振り返るとまだ2年半しかたってなかったの?という感じです。内容の充実した濃い期間でした。

まだ彼には心残りはあるでしょうが、名古屋で4年半語り合った、株式会社モリカワの夢は、実現に向けて、スタートを切れている所まできてるので、営業担当として、一つの達成感みたいなのはあるかと思います。

僕が思う彼の一番すごい所は話術です。彼の話術は一目置く所があって今でも尊敬しております。

活字にして説明するのは難しいですが、一言でいえば”会話の呼吸”です。彼はこれが非常に卓越しているのです。

人との会話の中で、自分が言葉を発するタイミング、相手に話させるタイミング、状況によって様々ですが、ビジネスとなると必要不可欠です。

二人で幾度となく、難易度の高いビジネス交渉に行きましたが、絶妙のタイミングで、言葉を発する姿は勉強になりました。

一長一短で身に付くものではありません。

僕も少しずつ盗ませてもらい、大分出来るようになってきたかとは思いますが、まだまだこれからです。

もっともっと頭の回転速度を上げていかないと厳しいと思っています。

最後に僕が彼に伝えたいことは、過去は思い出と反省しか生まれないが、未来は無限に広がっているということ。

株式会社モリカワにかかわった7年間の思い出と反省は胸にしまい、無限の未来がある東京で、新たな展開を見せてくれ。

 

 

 

「君が名古屋で語っていた大きな夢は実現に向けてスタートを切っている」

THANKS